出版物詳細カード
文 献No. S-17
著者名 星野 一正
タイトル名
患者や弱者に優しく
 − 患者中心の医療とインフォームド・コンセントの大切さ−
(Lecture)
内 容について ※本文の最初の文章を掲載いたします。

まえがき
 私は、第二次世界大戦の終戦後昭和24 年に卒業しましたが、その当時に新たに導入された「インターンシップ」の第1 期生として、新宿駅近くの東京中央鉄道病院で1949 年4月から1年間、「インターン」として勤めました。この1年間に、全科にわたり臨床の現場での勉強を
させていただきいただき、臨床医としての自覚が生まれたと思って、感謝しております。
 卒業してインターンを始めることになったときに、私は、医師として患者の生命までお預かりする職業につくことを考えて、「僕は、法律について何にも知ら ない。無責任ではないか」と考えて、大変不安になりました。そこで、卒業と同時に、慶應義塾大学通信大学法学部に入学願書を出し、4月から法律の勉強を始 めました。夏には、日吉校舎に通って授業を受け、2年目には、三田の本校に通って授業を受けました。2年半法律の勉強をさせていただきましたときに、私は 「文部教官助手を命ずる」という辞令を文部省からいただき、「文部教官助手を しながら他校の学生をしていてはいけないだろう」と思い込んで、退学届けを出してしまいました。こうして法学士の資格を頂くチャンスを自ら捨ててしまいま したので、医学士・法学士のダブル学士号を頂く道を失ってしまい、今考えると実に残念なことをしたと後悔しております。
  第8回医師国家試験を受験して、医師免許を私が取得したのは1950年でしたので、現在、医師となって既に半世紀を越えてしまいました。
私は、母校の産婦人科教室に入局したのでした。その当時、医学医療の専門家として権威をもった先輩の医師たちが最善と信じる医療を患者に行うのが当たり前 のことでした。また、生命至上主義が謳歌されていて「1分でも1秒でも長く患者を生かしておくことが、医師の使命である」と教えられ、「患者の死は、医師 の敗北である」とさえ言われていたものでした。
  当時の日本のどこの病院でも同じような「封建的な医局の在り方」が私には性に合わなかったので、医学博士の学位取得後、一刻も早く北米に行って働きたいと 思って、一生懸命に臨床の実力をつけようと努力し、同時に研究にも打ち込んでおりました。

頁 数 100頁
書籍版
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