はじめに
私のやっておりますことは、生命科学の中で非常に かたよったことでございまして、少なくとも1960
年までには、ほとんど一般の注目をひかなかった。ところが1970
年の半ばからブームとなりまして、現在では生物科学の中では常識になってしまい、私みたいな老兵はまったく忘れさられるということで、世の中というのは、
どう変わるかということの一つのいい例です。 私、今でも記憶しておりますが、あるアメリカの友人が、私がカルシウム説を出しましてから半年ぐらい
たって、もう一回会ったときにいいましたことは、「おまえはまだ、あのクレイジーなアイデアを信じておる
か」と。「クレイジーとは何だ」といいましたら声をひそめまして、「いや、私はおまえのためを思っていっているのだ。いいかげんなことを一回いうのはい
い、若いのだから」。そのころは若うございましたから、「一回いうのはいいけれど、二度いったら学界から葬られる。おまえはプロミッシングなヤング・サイ
エンティ ストである。したがって、もうカルシウムなどということは、二度というな」といわれたのが、1960 年の1月でございます。
それぐらいのものが、今現在では、みなさまの中にあるいはカルシウム問題がそれほど大きくなっていることを、ご存じないという方もいらっしゃるかもしれま
せん。ともかくも生命科学の中心課題になってしまいましたが、その初めのところを、こういうしがない人間がやるとは誰も思わないものですから、今となる
ともう忘れられてしまったということです。今日はいわばぐち話でございます。
それからもう一つは、私がやりますことはいつもそうなんですが、産業その他の役に立つことに結びつか
ないほう、結びつかないほうへと走っていくという天性がありまして、あらゆる意味で貧乏育ち。アカデミ
ックにはカルシウムが今たしかに盛況なんですが、有益なことに結びつくことがほとんどない。あとでちょっと実益にふれるかと思いますが、それはごく一部の
結果でございまして、サイエンティフィック・インタ レストといたしましては、たしかに重大なのだけれども、
分子遺伝学、遺伝子工学、このように産業に直結 するようなことはまずないと断言してよろしいと思います。
そういう意味で今日のお話は、こういう者もいるの だというように聞いていただければ、よろしいという ことでございます。
ここに二枚の紙をお配りいたしました。一つはこういう順にしたがってお話をしていこうということでの目安として、差しあげたものです。
もう一枚(表1)は、私、東大の物理の併任教授で生物物理学講座の担当で講義をしておりましたときに使ったものです。最初のころはまじめに筋肉の話、カル
シウムの話をしていたのですが、若い者も育ちまして、 私が出る幕が全然なくなりました。出る幕がなくなっ
たときに、年寄りのやることは歴史であります。これははっきり確かめたわけではないのですが、東大の物理では歴史の話をすることは、ある意味ではタブー
だったと聞いておりました。そういう流れの中で物を考
えると、人間がイージーになるということなのでしょうか。私、外様ではあり、定年も間近というので、教室の伝統をやぶりまして(?)、学生に講義をすると
きに使ったテキストでございます。 |